ご覧頂きありがとうございます。

2005年秋、バーキッドリンパ腫※を発病しました。
悪性リンパ腫の中でも数パーセントしか発病例が無いようです。
入院生活中はオフライン生活で、ネットでの情報収集が出来ない状態が続きました。そんな中で、Excelやテキストデータで病状を記録してきました。ネットに公開するほどのデータではないかもしれませんが、自分自身が症例数の少ないバーキットリンパ腫という病気をより深く理解する為に情報公開することにしました。

※Burkitt's lymphoma : 本当はバーキッリンパ腫ですね。検索エンジンでバーキッリンパ腫で飛んで来られる方がいるんでそのままにしておきます。

経緯
 2005年9月26日
  極度の胃の辺りの痛みと黄疸の為入院
  検査の結果、バーキットリンパ腫と診断
  約5ヶ月間の入院生活
 2006年2月21日
  寛解。無事退院
 2006年5月
  自宅療養を経て職場復帰

 2008年2月
  転職(6月より正規社員登用)

 2011年10月
  左アキレス腱断裂。

 2012年2月
  腎?(発熱のためオペ出来ず)
 2012年4月
  腎細胞がん 腹腔鏡手術により摘出
  事前の自覚症状無し(内科のCTにて腎臓に影見つかる)
  12日間入院


 2013年12月
  会社の健康診断にて胃要検査 胃カメラ実施
 2014年1月
  生検にてがん組織見つかる
 2014年2月
  胃がん 腹腔鏡補助下幽門側胃切除術+リンパ節郭清
  10日間入院


このサイトはブログという形式を取っておりますが、入院中にオフラインPCに書き綴っていたものを少しずつですが、バーキットリンパ腫という病気を再考しながら過去の日付で公開していきます。

     2006年4月26日 管理人:しばやん







Top がん友 ;>milkさん

2009年03月06日

milkさん

ブログ開設して間もない頃からコメントのやり取りをしていたmilkさんがお亡くなりになりました。
milkさんと言うより鎌田茜さん言う方が認知度が高いですね。

milkさんとの出会いになったブログ
*orange sky* ※かなり前に閉鎖されています
こちらには確か悪性リンパ腫のキーワードでたどりついて、私からコメントを入れたのが始まりでした。

その後こちらに移転
*bask in the sun*


〜北海道民医連 - いのちの賛歌〜より引用
いのちの尊さを伝える看護師 鎌田茜さん
がんと闘い出産・育児
がんとたたかいながら出産し、「命の重み」「生きるとは何か」を講演で問いかけている女性がいます。勤医協札幌看護専門学校卒業生で、勤医協札幌病院4 病棟に勤務していた、鎌田茜(あかね)さんです。

無情な宣告
左顎下に小指大の腫れがあるのに気づいたのは2006年3月です。茜さんのお腹には新しい命が宿っていました。一度は流産し、不妊治療の末に授かった命でした。
 
「たぶん唾石でしょう」医師の言葉に茜さんは胸をなで下ろしました。しかし、腫れは急速に大きくなり、5月にはこぶし大にまでなりました。
 
「90パーセント悪いものではないと思うが、早く手術した方が良い」と勧める医師に、茜さんは「もう少し先にしたい」と答えました。胎児の発達にとって妊娠4カ月までは特に大切な時期だと、看護師の知識で知っていたからです。
 
6月、襲いかかる激痛に耐え、妊娠17週目に入るのを待って手術しました。胎児がいたため麻酔の追加ができず、腫瘍の一部を残して傷口が閉じられました。
 
がん肉腫でした。がん患者40万人に1人、日本国内で年に1人が発症するかしないかの希な病気です。
 
「あなたの腫瘍は非常に悪性度が高い。子どもをおろしてすぐに再手術すべきだ」。茜さんの耳に、医師の声が無情に響きました。

特別な看護師
茜さんが、がんに冒されたのは、これが初めてではありません。
2001年、勤医協札幌病院で働き始めてほどなく悪性リンパ腫を発症しました。つらい抗がん剤治療に耐え、半年後には職場復帰を果たしました。
 
「入院先の同世代の看護師がキラキラして見えました。早く職場に戻りたいという気持ちが支えでした」復帰した病棟で、同じ病気の40代の女性が抗がん剤治療の辛さ、髪が抜け落ちる寂しさを訴えました。
茜さんは自分のカツラをスポッと脱いで、「大丈夫ですよ」と励ましました。
 
「本当ね」。女性の顔に、笑顔が戻りました。茜さんは入院患者に「特別な看護師」として信頼されるようになりました。
 
化学療法の後遺症で疲れやすく、指先の痺れで注射の際に血管を探せないなどの困難に耐えて働き続け、2004年9月、中学校教師の守さんと結婚し、退職しました。2人は中学校の同級生でした。

いのちの選択
涼しい風が吹き抜ける自宅の居間で、1歳9カ月になった憩(かい)くんを遊ばせる茜さん。「丈夫で風邪も引きません。よく遊んで、よく眠ります」憩くんが、愛らしい喃語で遊びを催促します。
 
「憩に多くのことを望んではいません。産まれてきてくれたこと自体が奇跡だし、存在しているだけで有り難い。神経質に育てているつもりもありません」
 
2年前、茜さんは自分と憩くんの命のどちらを優先するかを迫られました。「子どもを諦めて再手術しましょう。手術しなければ、出産までの命の保障は母子ともにありません」医師の言葉に、涙を浮かべる夫の守さん、すすり泣く母親。

「茜だけは助かってほしい」という父親に、茜さんは「お父さんが私を可愛いと思うように私もお腹の子どもが可愛い。もし子どもを殺して私が助かっても、罪悪感を背負って私は生きなければならない。そういう人生って何だろう」と訴えました。
 
医師に「あなたはがんを甘く見ている」と言われました。茜さんは「私が先生と一緒に働く看護師だったら、同じように『子どもをおろして治療すべきだ』と勧めたと思う。でも、今の私は看護師ではなく患者です。自分の生きたいように生きます。そうすることが私のQOLを上げることになる」と説得しました。
 
病室で付き添った守さんは明け方、「茜の存在が大事だけれど、茜が笑顔で楽しく生活しているのが一番だから、もし茜が死んだとしても俺が子どもを育てていく」と、声をしぼり出しました。
「その代わり茜も病気に屈しないで生きていこうね」と。守さんは、勤務先の学校で父子家庭の子どもの厳しさを見ています。そういう子を自分たちはつくってしまうのかもしれない――。様々な葛藤を乗り越えた末の守さんの言葉に、茜さんの心は震えました。

妥協しないで
再手術の日を巡っても、茜さんは厳しい選択を迫られました。医師は「1日でも早く子どもを出して手術すべきだ」と勧めました。長く置くほど転移の可能性が高くなるからです。
 
しかし茜さんは妥協しませんでした。「痛みも我慢します。鎮痛剤も一粒も飲みません」
再手術までの5カ月間、茜さんはがん性疼痛に耐えました。「ああ、痛い」。しがみついた守さんの胸に、深い爪跡をつけたこともありました。キッチンでゴロゴロとのたうち回り、眠れぬ一夜を過ごした日もありました。
「この痛みは子どもを産むための代償なのだ」と、茜さんは歯をくいしばって耐えました。
 
36週とゼロ日で帝王切開しました。「体力を回復しなければ」。茜さんは出産の翌日に離床し、病棟の廊下を歩きました。
「そんなにがんばらなくても」と助産師に言われましたが、「がんを取りきって初めて私の出産は終わるのだ」と自分を奮い立たせました。
 
出産して6日後に再手術し、1週間後、憩くんを抱いて退院しました。
「若いってことはすごいことだ」と主治医は驚きました。

重たい代償
重たいクリスマスプレゼントをもらったね」昨年12月24日、がんの肺への転移が分かりました。両肺に大きいものが1つずつ、小さいものが10個ほど星のように散らばっていました。
「あと半年くらいですか」茜さんの問いを、医師は否定しませんでした。
 
2日間、昼も夜も分からないほど泣き通しました。3日目の朝、ふと「私はこの子に泣き顔を見せたくて産んだわけではない」と、泣くのを止めました。
 
抗がん剤治療を勧められましたが、断りました。治療を受けながら子どもに笑顔で接する自信はありませんでした。
 
がんは少しずつ大きくなっていますが、勢いづいてはいません。「余命半年」といわれたその日は、もう2カ月以上過ぎています。

茜さんの夢
看護婦の仕事に今もひかれます。最近、アロマのハンドケアとフットケアの資格をとり、体調の良いときは、がんの友人の手足をさすってあげたり、話しを聞いてあげたりしています。
「命の大切さを伝えて」と講演を頼まれるようになったのは今年2月からです。
 
「特別なことを話しているわけではありません。母親が命がけで子どもを産むのは、どの出産でも同じです。たまたま死が近くにあるだけで、私は特別ではないし、死に怯えながら生きているのでもない。生かされている命を大事に生きているだけです」
 
6月、母校の勤医協札幌看護専門学校で講演しました。先生や後輩たちが涙ぐんで聞いてくれました。
 
「私を生かして下さいとは祈らない。生きるために使命を与えて下さい、と思う。講演も、私の話で元気になってくれる人がいて、それを使命と感じられれば続けたい」と茜さん。そして「人の輪が広がれば、いろんな人が憩を支えてくれる。人の輪を大事にしながら生きたい」と。
 
「もしも、もしも、長い人生を生きることが出来たなら、里親や、がんの病棟で患者さんや家族のケアが出来る、器の大きな人間になりたい」
 
茜さんの夢です。


彼女ならどんな試練でも克服しちゃうんじゃないか!?って、そんな気がしていました。


TV放映されていたんですね。気づきませんでした。
YouTubeにありましたので貼ってみます。

ママは生きる!がん余命宣告6か月〜1歳7か月息子&母の闘病全記録〜















お会いすることは出来ませんでしたが、ホント素敵な方でした。彼女から勇気を貰った人も多いんじゃないでしょうか。
ご冥福をお祈りします。


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元気になります






posted by しばやん at 17:05 | Comment(2) | TrackBack(0) | がん友
この記事へのコメント
TV放映されたのですね。見せていただきました。とても感動、感銘を覚えました。
ありがとうございました。
Posted by お富士 at 2009年04月13日 00:01
>お富士さん
力もらえたでしょ。
お互い頑張ろうね。
Posted by しばやん at 2009年04月13日 20:53
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